「自分でできる事は自分でせにゃならんからな。」95歳でこう言える心を育てた当時の教育に脱帽です。教育の質はそのまま人、ひいては国に反映される。その事を痛感します。(動画あり)

今日もしっかりトレーニングです。体力も向上し、かなり体調がよくなってきているので、今日は少し負荷を上げさせていただきました。その日の体調に合わせて負荷の増減をしていくのが、高齢者のパーソナルトレーニングでは非常に重要です。「無理せず、甘やかさず。」自分の持っている力で少ししんどいなぁ・・・という負荷をかけてトレーニングしていく事は体力強化の鉄則です。体調が悪い時には当然無理してはいけませんが、体調の良い時にはどこまで出来るのかを安全を確保した上で行う事はとても大切。本人のモチベーションが高い時は少しずつ攻めのトレーニングをしていきます。

 

「自分はここまで出来る。」

 

この実績が心と身体を強く、若返らせていくように感じます。「出来るかどうかわからない」というのは当たり前。やってみなければわからないのです。やってみて「出来た!」という感動が心に残り、「やればできる。」という自信につながります。この自信がさらなる進化の土台になっていくのです。誰もが生まれながらに持っている才能です。最近では「自己有能感」という言葉で表現される事が多いですね。

 

院長の大嫌いな言葉「私は歳だから・・・」はまさに「自己有能感の欠如」がもたらす言葉です。年齢を重ねてあちらこちらが痛い。多くの方を見ていてそういうものなのだろうと思います。ただ、そういう痛みと無縁の方々が多く存在するのも知っています。という事は「歳だから・・・」は痛みの原因の一部ではあっても全てではない。

 

私もまだまだ40歳の若造ですから、年配の方々の経年性の痛みは全くわかりません。そんな若造ですから、やってみもしないでグチグチ言うな。愚痴で周りの人の高いモチベーションを下げるな。こんな事を平氣で言わせていただいております。やる氣のある方を全力でサポートする。やる氣のない方にあれこれ言うのは相手にとってもありがた迷惑。お互いに感動は生み出しません。それは時間の無駄です。

 

「自己有能感なんて私にはない。」と多くの方は言うでしょう。世の中を見渡してみればよくわかりますよね。うつ病まみれ。虚勢まみれ。心の安定感がないから国全体が不安で包まれている。

 

「こんな状態の自分では我慢ならないから頑張ってみる!」

と自力を磨くために努力する。この人にも自己有能感はありません。

 

「こんな自分を誰か助けてくれないかしら・・・」

といつも他力を求めて生きる。この人にも自己有能感はありません。

 

「自己有能感」などと言う言葉などどうでもいいのです。「やるか」・「やらないか」。それで結果が違ってくる。それだけの話です。年齢を重ねて何歳になろうとも、それだけの話です。

 

生き方はそれぞれ自由で、誰がどのように生きようが勝手です。しかし当院は他力本願のお助け寺ではありません。自力で力をつけるために努力される方が集い、自分のペースでそれぞれが学び、目標に近づいていく。私が出来るのはそのサポートです。

 

「強くなりたいなら強くなるためのトレーニングを」

 

「程々でよいなら程々のトレーニングを」

 

安全性を十分考慮して目的に応じてトレーニングをしていけばいいのです。

 

95歳の歩行も困難だった方が、「自分で出来る事は自分でせにゃならんからな。」と毎週体力向上のトレーニングに励まれ、自分で力をつけていく姿を拝見すると、本当に心が引き締まるのです。本当に得難い出会いに感謝しかありません。

 

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