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細胞まで意識して生活する。理解が進めば自信を持って選択出来るようになる。不安を払拭するには「なぜ?」を「知る」ということが大切なんです。

本日は勉強熱心なご家族が「施術&講義」を求めて来院されました。

 

当院で来院される皆さんにお話しさせていただくのは、テレビ的な「〇〇は□□に効く!」というような「学校教育のカッコ埋め」方式ではなく、「何で効くの?」とか、「何で良いの?」というところまで少し掘り下げてお話をさせていただきます。カッコ埋め式の学習は応用が効きませんからね。

 

先生が「ここテストに出すから覚えとけよ〜。」と予め出題予告していたものを、テストの解答用紙に記入する。これでは自分で考える力が全く身につかない可能性があります。「鵜呑み」の能力が磨かれるだけです。

 

この方法では「先生」の影響力が強すぎるのです。「学ぶべき内容」ではなく「先生が何を言うか」ばかりを生徒は求めるようになる。「太陽は西から登るぞ〜!覚えておけよ〜!テストに出すぞ〜!」とZ先生がたまたま間違えて言ったとします。それをちゃんと聞いていた「真面目」なA君は

 

「太陽は(   )から登る。」この(  )に入る方角を記入せよ。

 

と言う問題があったら、迷わず「西」と書いてしまうのです。自分が朝、通学する際に東から昇る太陽に向かって通学してきたにもかかわらず・・・。

 

この場合、回答は「東」です。太陽は東から昇りますから。当然、A君は不正解で単位を落とします。この場合、言い間違えた先生の非はあるでしょう。「先生は「西」とおっしゃっていました!」とA君がボイスレコーダーで録音していた音声をZ先生に突きつければ、不正解という扱いは取り消されるかもしれません。学校のテストなら取り返しがつく可能性があるです。

 

ただ、不正解である場合、「命」は取り返しがつかないのです。

そして、正解は誰にもわからないと言う要素が多分に含まれている。

ここに「命」の複雑さがあります。単純では無い。

 

この真実が理解出来れば、学ぶと言うことが「命」を大切に扱おうとするものにとっていかに大切なことであるのか理解ができるはずです。

 

私は採点などいたしません。神様ではありませんから。ご縁のある方が「実生活でいかに知識を活かすことができるか。」ということに焦点を当ててお話をさせていただきます。しかし、それは私の今までの人生における見識をお伝えさせていただくに過ぎません。

 

言い間違いをするZ先生であってはならない。だから日々学ぶ。

 

真面目に「西」と書いてしまうA君であってはならない。だから日々学ぶ。

 

真面目にというのは「無批判に」と言い換えても良いでしょう。

 

それぞれがそれぞれの立場で学び、命を大切に考え、人生を豊かにしていく。

 

当院はそういう心の通じ合う空間でありたいと考えています。