目に見えるもの。見えないもの。

私たちの目には「見えるもの」と「見えないもの」が存在します。

 

これは多くの方が知っている「常識」です。

 

人の目には限られた範囲の波長の電磁波しか見えません。

 

日常的に目にする「カラス」という鳥は私たちの目には「黒」にしか見えませんが、彼らは皆それぞれ羽根に模様があるということをご存知ですか。彼らは個体を認識するためにちゃんと視覚を利用し模様を認識しています。人間の目には見えない電磁波の「色」が見えているということです。

 

人の目で捉えることの出来る電磁波を「可視光線」と言います。

 

可視光線より波長の長いものを「赤外線」と呼び、短いものを「紫外線」と呼びます。

 

これらは目には見えなくとも「紫外線」や「赤外線」の存在は多くの方が知っています。

 

「水素」や「酸素」や「二酸化炭素」なども同様に見えないけれど多くの方が知っています。

 

これらが存在することを多くの方がちゃんと知っています。

 

これらは動きます。それも多くの方が知っています。

 

「風」は目に見えませんが、時に物を動かしたりもします。

 

そのことに多くの方は疑問など生じません。なぜなら感じる事が出来るからです。

 

人の身体の感覚には限界があります。

 

「目」という感覚器官に「可視光線」という感知できる範囲が限定されているのと同様に

様々な器官には感知の限界が存在します。皮膚感覚も同様ですね。

 

では「感知できない事」は存在しない事なのでしょうか。

 

「そんなことはない」ということを多くの方が知っています。

 

しかし目の前で感知できない現象が起こると多くの方はそれを「常識」とは言いません。

 

理解を超えた世界を「非常識」として片付けてしまいます。

 

「非常識」は存在しないことですか。

 

そんなことはありませんよね。自分の理解の範囲を超えている。ただそれだけです。

 

同じ現象でも「理解している人」にとっては常識で、「理解していない人」にとっては非常識。

 

感知できない現象についての人間の認識など、この程度です。

 

間違いなく、この認識の違いによる大きなうねりがこれから起こります。

 

現実を直視する訓練をする。今、多くの命が大変動の世の中で試されているように感じます。

 

自分の理解を超えた世界がこの世の中には満ちています。

 

「常識」というもの自体が実は存在しないという認識を持てるかどうか。

 

「安心感」を求めて「常識」を探している間は「安心」は訪れない。言い切らせていただきます。

 

あらゆるものが「ただ、ある。」それだけです。

 

何の分け隔てもなく「ただ、ある。」それだけです。

 

 

追記

 

「視覚」と「死角」。同じ「シカク」という音を持った単語です。

 

「視覚」には「死角」があり、「資格」も専門バカという「死角」を生む(氣をつけます…)。

 

「刺客」は「死角」からやってくる。言葉遊びにはキリがありません。

 

音を重視する日本語において同音異義語をいかに深掘りする事ができるかどうか。

 

私たちのご先祖様が残して下さった日本語。ここにも大きな学びの種が大量に眠っています。

 

学ぶ事で見える世界は広がります。学校の教科書は「全て」ではない。

 

若者の「学ぶ意欲に火がついた眼差し」は素晴らしいものですね。

 

「先生」と呼ばれる多くの大人の質が問われる時代となっていますね。私も氣を引き締めます。