「不安」とは起きるかも知れないという脅威

コロナイフ6の漫画の最後に書かせていただいた文章を抜粋して掲載させていただきます。本作は接種をする、しないという判断をする際にまず「説明書を読むこと」の重要性を描いた作品ですが、これから接種をするかどうか悩んでいるお子さんをお持ちの親御さん、また時代に翻弄される形で「接種対象者」となってしまったばかりに悩みを抱えているお子さん自身に判断の材料として微力ながら助けとなる情報だと信じて発信させていただきます。

「不安」とは起きるかも知れないという脅威

 

という言葉がある。説明書に「起きる」と書いてあることが書いてあった通り起きている。当たり前です。説明書ですから。書いてある事は起こります。起こらなかったら嘘になりますからね。スパイクタンパクは産生されるんです。身体の中で。必ず(治験ですからプラセボはあります)。治験をする側(ファイザー 社)も氣を使うんです。だからこんなに丁寧に説明書に書いてあるんでしょ。本当に親切だと思います。危険性をきちんと伝えて下さっている。だから読んだ人の中には「打たない」と判断する人もいる。当たり前でしょ。

 

命に関わる可能性のある事だから。

 

そういうものを注射するから「本当にいいんですね?」という事で「署名」が存在するんでしょ。「何が起こるかわからないけどいいですか?」という事で「署名」が存在するんでしょ。「使ったことのないものをあなたの身体に注射するけどいいですか?」という事で「署名」が存在するんでしょ。その結果、今はこのような現実が目の前に広がっているだけです。ここに不安が入る余地はないです。

 

 

「だからこうなるって言ったじゃないですか。」

 

 

何回この言葉を発した事やら。署名させておかないとファイザー 社は夜も眠れないようなものを提供している。そこに「効くかどうかわかりません」って書いてあるんですよ。提供する側は不安なんです。だからちゃんと書いてあるんです。この点において接種して体内にスパイクタンパクが産生され、それが原因で体調が崩れたとしてもその事に対してファイザー 社の責任を問う事は不可能でしょう。書いてあるんだから。それを了承して「署名」したから接種できたのでしょう。親切なものです。

 

「読んでいない」という事は今回の騒動においてそういう意味を持ちます。読んでいないことが不安の原因になっていることが本当に多いのです。読んで理解すればものすごく心が軽くなると思いますよ。「な〜んだ」というレベルです。

 

治験が終わりに近づけば「コロナ」はただの風邪になる。風邪にするしかないですよね。実験にはお金もかかるし、いつまでも同じ薬の治験をしているほど製薬会社も暇ではない。次があるのです。データが集まれば「治験」は終わりです。

 

余談ですが、私はファイザー製薬の名古屋工場(愛知県知多郡武豊町にある工場)が建設されていた際に体育学部の大学生でした。その時、この工場の建設現場にアルバイトで配管工事に行かせていただいたことがあります。ものすごい工場というか研究施設ですよ。一日中ずっと天井の配管相手に仕事をして首と肩の筋肉が痛くなった事とバイオハザードという映画に出てきそうな施設だなぁ・・・と思ったのを今でも覚えています。

 

余談でした。つまり、説明書に書いてあることが計画通り当たり前に起こっているだけ。説明書を読めば終わりです。書いてありますから。

 

接種により体内で産生されたスパイクタンパク質がどうなるか。これは各種情報を精査して自分の都合の良いものを信じた方がいいかも知れませんね。波動的な考え方で言うと「除去される」という報道を信じていた方が身体の調子は良くなりそうですね。実際にはわかりませんとしか言いようがありません。治験中ですから。治験は年単位で計画されているものですから。今だけではないのです。

 

接種後1ヶ月でどうなりました。

 

接種後3ヶ月でどうなりました。

 

接種後6ヶ月でどうなりました。

 

接種後12ヶ月でどうなりました。

 

接種後24ヶ月でどうなりました。

 

・・・こうやって全てのデータが蓄積されていきます。だから厚生労働省でもちゃんとロット番号何番の人にどういう副反応が発生し、その後どうなったのかというデータをちゃんと公開してありますよ。隠しているわけではないのです。調べにくいだけです。量も膨大なデータです。

 

こちらからも確認できるようにしておきますね。

 

 

何でロット番号なんかを接種券に貼り付けるスペースがあるのですか。

 

治験だからでしょ。

総理大臣もおっしゃっていました。

 

このデータを蓄積してファイザー社は今後に役立てるのです。製薬会社にとってデータは大切な情報なのです。お金を払ってでも手に入れたい情報なのです。貴重な実験の機会なのです。今回はこの実験が人間の命に関わる可能性があるということで治験を行う側として危険性の通知はきちんとしていますよ。ネズミの実験ではないのです。ネズミは可愛そうなものですよ。

 

「署名システム」がないですから。

問答無用。即注射。

 

我々は人間です。通知された側が説明書を読んでいない状況で署名して接種して起こった結果については何が起こってもファイザー 社には何の非もないのではないでしょうか。判断に必要な情報の多くは与えられています。

 

皆さんが耳にしている不安な情報はファイザー社の社員から直接聞きましたか?誰から聞いた情報ですか?どこから流れてきた情報ですか?

 

 

信用できるファイザー社の公式の見解の一部は皆さんの手元にあります。

 

それを今一度ご確認ください。

 

それを確認した上で「接種する・接種しない」の行動の判断をして下さい。

 

 

たったそれだけです。

 

 

ワクチン推進派・反対派が争う構図ができ、様々な場面でいかに影響力を強めるかといった争いがありますが、単純に「打った。」「打ってない。」2通りの選択があり、全ての人がどちらかを選んでいる。それだけでいいじゃないですか。

 

「効果は明らかになっていない」って書いてあるんだから、どちらでもいいでしょ。

 

打っても感染するし、打たなくても感染するし。どちらでもいいでしょ。

 

 

身体が弱ければただの風邪でも命を落とします。

 

 

餅が喉に詰まっても無くなってしまうほど儚いものが命です。この儚い貴重な命の時間をいつまで「コロナ、コロナ」と言い続けるのですか。

 

「強制」は「効果が明らか」でなければ出来ないでしょ。効果がないものを強制されたら抗えばいい。徹底的に。だから外国では暴動が起こっているじゃないですか。効果があるものだったら暴動なんて起こると思いますか。起こりませんよ。効果の証明が出来ていないから暴動が起こるんです。でも、「今」証明なんて出来るわけないでしょ。

 

 

治験中なんだから。

 

 

これから年単位で被接種者の身体に起こった変化がデータとして蓄積された結果、

このワクチンの評価が下されるだけです。

 

それを基に製薬会社は次へ進む。

 

ただそれだけのことです。

 

ワクチンの良い悪いを論ずる前に、「治験」であるという意味を理解する。

 

この事の方が穏やかな日常生活を取り戻すには大切な事なのではないか。

 

心からそう思います。

 

「治験に参加する。(接種)」・「治験に参加しない。(非接種)」

 

この感覚がなさすぎる。

 

 

 少なくとも将来ある少年、少女の皆さんにはこの事を知っておいていただきたい。

 

「今」

 

後から知っても意味がないのです。

 

 

 

健康の基本は日々の健やかな日常生活です。

 

 

自分の身体を信じる。

 

 

出来るのはこれだけです。

 

信じるに足る日常を送るだけです。