日々の4コマ(工場長VS暴れん坊)

「私」・「同僚」・「工場長」。この3人はみんなコロナ禍で様々なリスクに翻弄されています。今の仕事を続けるために接種を選んだ「工場長」。説明書を熟読し将来に渡っての自分の身体の事を考えた結果、工場長の圧力を受けながらも接種しないという道を現在は歩んでいる「私」。そして工場長の圧力に精神をやられ、不安の中「接種」に心が傾いている「同僚」。

 

年齢を考えると現在の収入を維持出来るような転職も出来ない。今の会社で今のポストで仕事を続けるために会社の要請に従い、家族を養うために止むを得ず「接種」という道を選んだ「工場長」。もちろん説明書も熟読している。理解もしている。しかし「工場長」にはこの仕事しかない。接種後の部下の体調異常は把握しており、自分自身の体調も接種前とは違うことは自覚している。仕事として「部下に圧力をかけ続ける。」・「接種は業務命令だから管理者としての役割を全うする。」今の世の中ではこれも一つの選択。みんな命がけです。簡単に善悪を持ち込めない部分である。

 

まだまだ年齢の若い「私」は自分自身の将来に渡っての健康を考えた結果、「スパイクタンパク質の体内での産生」を避けるべきであるとの判断で接種を見送っている。その代償として日々、工場長から圧力は受けているが、健康不安は全くない。自分に対して圧力をかけてくる工場長が会社の中の役割として「部下に対して圧力をかけざるを得ない状況である」ということは十分に理解している。社長と社員の間に挟まれた中間管理職は大変なのだ。それをちゃんと理解している。現在は強制接種ではないため「任意」を盾に接種を見送っている。接種する氣が全くないため、日々心は穏やか。強制になれば、退職を考えているが当面強制にはならないであろうとの算段から戦略的に「見送っている」という状態。工場長から圧力を受けるのは当然であるということは理解しているから、工場長の圧力も真っ向から受け止めているが、精神的にはその圧力も「暖簾に腕押し・糠に釘」という状態で何とも思っていない。圧力を受けるのも仕事のうち。兵士が「戦場で怪我をするのが仕事である」というものに似ているかもしれない。取引先の倒産などの外のリスクだけでなく、社員のコロナ接種者で体調不良者が続出し会社自体が傾くという内のリスクにより最悪倒産となる可能性もある。その時、体内にスパイクタンパク質がある状態で次に行くよりも、そんなものは体内にない状態の方が将来の健康不安は軽減されるということもちゃんと計算している。健康」、そして「若さ」は大きな財産なのだ。仕事は「健康」の土台があってのもの。これがちゃんと理解できている。だから接種しない。これも一つの選択。

 

「同僚」は物事の本質が見えていない。だから答えが出せずに迷っている。本来この問題は即決なのだ。説明書という一次情報さえ読んでいないから判断の基準がない。様々な報道で不安を煽られ、その度に精神をズタズタにされている。精神がズタズタになっている原因は学んでいない自分にあることにすら氣がついていない。どうにか「工場長の圧力」を避けたいが、「接種」も怖い。おそらく日本で一番多いのはこの「同僚」タイプの人達だ。

 

生きていく中で発生する様々な事象に対して判断材料を持たない者は必ず多数の側を選ぶ。それは動物の世界を見ても明らかで何も不思議ではない。その方が生存の確率が上がるからだ。群れを成していれば自分が死ぬ可能性が減る。群れが大きければ大きいほど。周りの誰かが代わりに死んでくれるから。これも自然の摂理であり善悪の判断の入る余地はない。

 

しかし今回の問題で一番厄介なのが、多数派であっても「未知の物質」を体内に注射することによって「一律に生存を脅かされている」ということである。これが無ければ騒動にすらならない。

 

 

今回の騒動は自然の摂理が通用しないのだ。

 

 

「長い物には巻かれろ」私はあまり好きな言葉ではないが、先人の知恵の詰まった言葉として無視は出来ない名言である。それは認める。しかし今回はこの言葉さえ一考を要する巨大な「未知」が我々の前に横たわっている。「スパイクタンパク質が体内で産生される」ということは説明書に明示されている事実。接種後に「因果関係」は不明ながらも「死亡」する人が1000人を超え、副反応という名の「病氣の報告」は軽々と万を超える状況。多数派にいたとしても「生存の確率が上がる保証」がどこにも見当たらない。ここに警笛を鳴らす者が現在の少数派の中の大多数である。

 

多数派にいるかどうか。という物事の見方ではなく「接種したか」・「接種していないか」ここが最大の判断の分かれ目であるという点に多くの人が氣がつけば、この国は変わるであろう。そこにしかこの国がコロナ禍を真に乗り越える手段はないとさえ感じている。それには「接種」そのものの意味を各個人がもう一度明確に理解する必要がある。その意味を理解した上で多数派が接種者となるのであればそれはそれで日本国の運命であろう。しかし、現在「接種」の意味を理解している方の方が少ないのは日々の臨床や報道される人々の発言で明らかである。「予防のための接種」をしているものの説明書には「予防効果が明らかでない」との記述がある。この矛盾にどれだけの日本人が氣付いているのか。

 

現在は接種の有無が「多数派・少数派」という少し視点をズラされて多くの人の心に浸透している。現在は「接種者が多数派・非接種者が少数派」となっているが「生存の確率」で言えば「多数派である事」がコロナウイルスの脅威に脅かされる生命の生存確率を上げる訳ではないのだ。現に元氣だった人が接種してすぐに亡くなるという事例は枚挙にいとまが無い。「因果関係不明」なのかもしれないが、「接種した直後に亡くなった方が大勢いらっしゃる」という事実は事実なのだ。

 

 

現在の脅威はコロナウイルスにあらず。

 

 

未来ある若者にここまでのストレスを与え続ける環境に憤りを感じる。これを打破するには各年代の日本人それぞれが「考える」という事をもう一度思い返す必要がある。

 

工場長タイプの苦渋の決断をせざるを得ない方々の心労は想像を絶する。この心労は果たして必要なものなのだろうか。接種の捉え方・ウイルスの捉え方を変えれば無駄な命がけのストレスは激減するだろうに・・・と考えたときに、今一度この国の成り立ちに多くの方が目を向ける必要がある。流れが変わるということは、「マスクが売れなくなり」・「PCRの検査キットが売れなくなり」・「接種数が激減する」という事が起こる。そうなれば供給元の特需はそれで終わる事となる。その流れになるためのハードルは恐ろしく高いと言わざるを得ないが、「確固たる理由を持ってそれらを選択しない。」という判断のできる大人が増えてくれば、一瞬でこの騒動は終わる。その判断ができないからいつまで経っても終わらない。このままいけば供給者の都合の良いタイミングで都合よく終わるだけである。都合の良いタイミングが来なければ終わらない。それだけである。

 

体内に未知の物質が入っているという事実は、少しの不安を煽ればビジネスに直結する。「未知の物質が内臓機能に支障をきたしてくる事がわかりました。治療薬は一錠30000円です。週に1回は最低服用してください。」こんな笑えない将来も十分起こりうる。製薬会社もビジネス。今の無料接種も税金で支払っているから国民負担は無しという錯覚に陥っていますが、確実に日本国の財産は外資製薬会社へ流れています。「未知」とはそういう事です。誰かが「大丈夫!」と言ったとしても、「未知」なものは「未知」。不安な時にはより安心できる情報に多くの人が群がるが「未知」の解消に繋がる有益な情報が出てくるまでには期間が短すぎる。「大丈夫!」の理由は治験の結果が分析されるまでは「わからない。」これが的確な表現であろう。国家を挙げて治験中である現在、結果の分析などできるわけが無いのだ。むしろ「未知だからわからない」という前提に立ってどれだけ判断できるかという冷静な知性が今、最も求められている姿勢である。

 

こんな思いでシンプルな4コマ漫画を書かせていただきました。

 

本質は至ってシンプル。「複雑さの原因は何か?」この事に多くの方が目を向けられる日が来る事を祈っています。私もささやかながら役割を全ういたします。

 

 

「何でこんな時代に生まれたんだろう。」

 

 

ため息混じりのこんな学生の言葉を私はもう聞きたくない。