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日々、遠隔づくし(予約したのは脚の痛みや引きつけだけど、今日ギックリ腰なの。)

ご予約は両方の下肢の痛み、定期的に襲ってくる下肢の引きつけ・・・でしたが、「ギックリ腰なの。」とのことで施術開始。M Sで提示されたのは「左副腎P」。「あら?痛くないわ?えっ?痛くないわ?」・・・とのこと。めでたし、めでたし。怪我してすぐは、身体が元の状態の波動を覚えているから効果が出やすいですね。定期的に襲ってくる下肢の引きつけに対してのM Sによる提示は「肝臓P」と「マグネシウム」。分子栄養学に基づいたマグネシウムの役割などを説明させていただいた後、また痛みが出たらご連絡ください。ということになりました。あらためて、めでたし、めでたし。

 

施術後「今は全然痛くないけど、重たいものを持ったりしたらまた痛くなるんでしょ?」とおっしゃられたので、「そう思ってたら痛くなると思います。」とお返事させていただきました。よくある問答ですが、これは多くの臨床経験から間違いのない真実です。これは予測の範囲を出ませんが、「どうせ痛くなると思っている。」ということはもし痛くならなかったら「自分の予測が外れる」ことになる。競輪や競馬をされる方はご存知かと思いますが、予測があたる快感。これは何とも素晴らしいのです。(注:私はギャンブルはしません。競輪で心から応援している選手がいるだけです。毎試合チェックです。)これを自分の身体でやっている。痛くなったら「ほらごらんなさい!私の言った通りになったじゃないの!」ということになる。身体は本能的に快感を求めている。だからそちらの方向へ導かれるのではないかと。まだまだ13年と経験値は浅いですが、このように思わされる実例が多すぎるのです。「ほら、痛い!思った通りよ!」。これ、一瞬快感ですよね。予測が当たったから。でも痛いから不快なんです。この場合。

 

「痛みは忘れるもの。」

 

これは日々の臨床において紛れもない真実であると言い切らせていただきます。「データを集めた結果、この症状は治りません。」という感じの言葉を病院関係のテレビドラマで聞くことがありますが、「そのデータの中に私は入ってないんですけど!」と反論する患者役を見たことがありません。不思議ですね。他人のデータを見て「そうか、私もよくならないんだな。うんうん。」と納得するのは勝手ですが、「何を求めて医療機関にかかってるの?」といつも思ってしまうし、当院に来院される方に対しては実際に言わせていただきます。「治りません。」という言葉で暗示でもかけてんのか?この役者は?とテレビや映画を見ていたらよく思います。職業病ですね。

 

当院では小・中学生(特に倉敷の某中学校のサッカー部の選手)は人体を「神秘的・奇跡の塊」と表現したくなるような数々のビフォーアフターを呈してくださり、いつも驚かされています。来院理由がいつもとんでもない無茶振りであるため骨が折れるのですが、彼らに共通なのは「よくなりたいという感情に対する素直さ」。これは量子力学の分野で何とか数値化出来る日がこないものかと日々願っている状態です。200年くらい経ったらこの「素直さ」を数値化するマシンが出来るかもしれませんね。まあ、数値化などされずとも、調子がよくなればそれでいい。「信じるものは救われる」に近い感覚かもしれませんね。これは大昔からある言葉です。ご両親からいただいたご自身の身体を心から信じることが自分を救うことになる。最高ですよね。

 

何はともあれ貢献できて何よりでした。お帰りの際に「今は全然痛くないから、腰のことはあまり考えないようにするわ。」と素直なお言葉をいただけたことが嬉しかったです。また、「この施術方法は人に言っても信じてもらえないでしょうね。」とこれもまた素直なお言葉をいただきました。これはほとんどの方に施術後によく言われるお言葉です。それに対していつも通り、

 

「当院のことを人に一生懸命勧めると変な顔をされることがあるのであまり一生懸命勧めない方がいいですよ。不思議すぎますから。私もそう思います。でも本当に痛くてどうにもならずに困ってる人が身の回りにいらっしゃったら選択肢の一つとしてさりげなくお伝えしてあげて下さい。」

 

このような内容のお返事をさせていただきました。ご来院ありがとうございました。