「風邪を引く」ということに対して、これほどまでに人々が神経質になった時代が今まであったでしょうか。私の生きてきた40年では少なくともありませんでしたね。今の皆さんの怯え方は「異常」です。「風邪の症状」というよりも、「風邪を引くこと」に怯えている。それはなぜか?「ワクチン接種の有無による心の隔たり」がこんなところにも顔を出してくるからです。上記の漫画は「非接種」の会社員が風邪をひいた場合の一例を描きました。昨日まで普通に接してくれていた同僚に、自分が風邪をひいたことをキッカケにして「ワクチン非接種」を咎められるのではないか。こんな不安を多くの方が感じざるを得ない。「そんな世の中。」という感じがしているのはよくわかるのですが、少し考えてみましょう。「風邪を引いたこと」と「ワクチン接種」。どこにどんな関係がありますか?
ありません。
この漫画で見落として欲しくないのは「お前らが感染を広げるんだよ!」というセリフです。目の前には風邪を引いた一人の同僚しかいないのに「お前ら」という言葉遣いをする人。本当に多い。個人を見ているつもりで、目の前の個人に意識が向いていない人。言葉にすべて出てしまうのです。どこに意識があるのか。すべて見通されてしまいます。俺はこっちのグループだっていう内面が「お前ら」という言葉となって出てしまうのです。怖いですよ。言葉は。
引き続き「2回接種済み」の会社員が風邪を引いた時の一例を描かせて頂きました。よろしければご覧ください。
誰でも風邪は引きます。当たり前。…でしたよね。コロナ禍の前までは。
「ゆっくり休んでね〜!お大事に〜!」
「運転無理でしょ?送っていくわ!」
「手伝える事があったら言ってね!」
まず、こんな感情が自然と生まれ、言葉となって出てきていたのではないでしょうか。さあ、果たして今はどうでしょうか?「風邪を引くこと」と「ワクチンを接種したかどうか」は関係がありません。まずここをちゃんと確認しておきましょう。インフルエンザの事を思い出してみればよくわかりますね。
「私、インフルエンザかかっちゃった。ワクチン打ってなかったし・・・」
こんな同僚がいた場合、弱った同僚を捕まえて「お前が感染を拡大させるんじゃぁ〜!お前のせいでみんなが感染するんじゃ!」・・・って言ってました?言ってなかったでしょ。言ってたら、その人、もう終わってますね。当然、感染の拡大を防ぐために部屋を隔離するなどの感染予防対策は取っていましたが、弱った人間を目の前にして「お前が悪い!」と咎めるようなことはしていなかったのではないかと思うのです。自然と心は寄り添っていたと思います。
だって、明日は我が身でしょう?
ワクチンについての詳しい情報をここで述べることは致しませんが、「接種していてもかかる時はかかる」。インフルエンザの時には普通に受け入れられていた現実が今「コロナ」になって受け入れられなくなっている。これは人間の精神において危機的な状況です。
今回のコロナワクチン、ファイザー社製のものについては「説明書」に「感染予防効果は明らかになっていない」とまで書いてある。それを接種していようが、接種していまいが「コロナ感染」だけでなく「ただの風邪」に関しても関係ないでしょう。弱っている人がいたら優しい言葉がけをする。あえてしようと思わなくても勝手に出てくるでしょう。言葉が。当たり前に培ってきた日本人の思いやりの感情がどんどんと失われています。今、食い止めなければ、この状態は急速に進みます。マスクにより、子が親の表情から様々な感情を読み取る能力もこれからは著しく低下するのは必然。感情を読み取る能力が低下するのだから思いやりなど消えて無くなりますよね。必然です。その序章が始まっています。いずれ学校で教科書になるのかもしれませんね。
「O・M O・I・Y A・R I」
こうなったら人間はA I搭載のマシンにとって変わられますね。「重い槍」の誤入力で串刺しにされる人が出るかもしれませんね。「思いやり」など教科書で習うことじゃありません。日々、家族や地域で、感じて培って生きてきたのが日本人でしょう。我々が今、何を失っているのかを考える時がきています。