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ヨイコドモ

この書籍は国民学校初等科1、2年生(現在の小学1、2年生)の「修身」の授業で使用された教科書である。大東亜戦争中の昭和16年度から使用された。日常生活における規律、礼節や国民的行事などが、カラーの絵で幼い児童にもわかりやすく学べるようになっている。

 

だが、昭和20年の敗戦の後、GHQは日本の教育を根本から改造し、「修身」の科目は廃止された。『ヨイコドモ』は回収ののち、処分されている。

 

以上が巻末にある本書の説明文です。

 

要はこの書籍、敗戦前の日本の子供の使用していた教科書です。

 

当院は有り難いことに90代の高齢者も来院されてトレーニングをされるなど、この教科書を実際に使用して教育を受けられた方々と接する機会を与えられております。皆さんと接して感じるのは、やはりこの「修身」という科目。この科目によって培われた「日本人としての力」を持っているか、持っていないか。ここには大きな差があると言わざるを得ません。言葉では表現使用のない魂の強さのようなものを皆さん一様にお持ちです。

 

もちろん「魂の強さ」を測る機械などありませんよ。機械で示された数字にめっぽう弱い現代人にはこんな断り書きが必要になる場合がある。本当に近い将来人間がAIロボットにとって変わられるんではないかと思うような場面が多々あります。

 

余談でしたね。敗戦後、この教科がGHQにより廃止されたというのは必然と言えるでしょう。このような素晴らしい共通の教科書により教育を受けた民族は軍事力だけでは屈服させることができない。そのように戦勝国に思わせるには十分な内容と言えるでしょう。例え領土を奪われようとも「日本人」であることを捨てはしない。これは戦勝国にとっては脅威です。常に国家再興の芽が身を潜めているという脅威。この教科の廃止はやはり必然です。

 

この「修身」を知らない教育者が存在するという現代はまさに世の中で起こっている変化そのものが「時代の象徴」とも言えるでしょう。GHQの占領政策の結果が見事に体現されているのが現代と言えるでしょう。

 

軍事力をはじめとする「恐怖」に基づいた支配はただそこに存在するだけの「個人」に対しては強大な力を持ちます。ご先祖、兄弟、子孫、国家という繋がりを意識しないただの「個人」は「痛み・苦しみ」に対して驚くほど弱いからです。踏ん張りが効きません。そして「快楽」に対しては根強い執着を持ってこれに向かう。支配するのにこれほど楽な集団はありません。「恐怖」と「快楽」のさじ加減で楽々と人々の行動を制御できてしまう。「アメ」と「ムチ」が理屈通りの結果をもたらすのです。

 

「そのアメちゃん、もしかしたら毒入りとちゃう?」

 

「そのムチで私を打とうとするならば、それなりの覚悟でどうぞ。」

 

「ムチで100回打たれてもこの決心は揺らぎません。」

 

こんな事を言う人がものすごく少ない。

 

多くの人が「アメ」に群がり、「ムチ」を避けるために何でもやってしまう。

 

親殺し、子殺し・・・どうなってるの?この国。

 

 

この書籍は簡易なカタカナ表記でご先祖(両親)、兄弟、子孫、国家という繋がりを意識した「個人」として日本人のあるべき姿が見事に描かれている名著です。これを小学校1、2年生の時から基礎教育として教えられた年代の精神力。これは半端ではない。「◯○のために私は生きている(生かされている)」この「◯○」が皆さん「自分」ではないのです。

 

戦時中の表現も多くあり、現代とは当然時代背景が違いますが、精神の修養という面では小学校1、2年生の魂を磨き上げる砥石となる名著であることは間違いありません。読まれたことのない方は是非ともご一読いただきたいものです。

 

教育の衰退は社会の衰退に直結していくというのは今の世の中を見れば明らか。「偏差値至上主義」を否定するつもりはありませんが、少なくとも「盲信癖」とも言える「考えない人々の増加」に歯止めをかけるための一つの手段として「日本人の心の軸づくり」に貢献する入門書籍と言えるでしょう。

 

説明文に「敗戦」とちゃんと明記してあることも非常に重要ですね。「終戦」と「敗戦」は意味が全く違いますからね。今、我々は「敗戦国」としての歴史を歩んでいることを再度認識しなくてはならない局面にあるでしょう。嫌でも認識させられる状況まで追い込まれるか、事前に氣がつくか。氣が付く人が一人でも二人でも増えてくれば、徐々に時代は変わります。