先の見えない時代に「もし・・・?」を考えるのは大切なことだと思います。正解の見えない状況で様々なことを考え、行動する。その中で様々な事を学び、進んでいく。より良き日本になることを祈ります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「努力義務」という何ともわかりにくい言葉が登場し、それにより混乱されている方が多くいらっしゃることを日々の臨床で感じています。
「義務」という言葉では不具合がある。
そこで生まれた言葉が「努力義務」である。このことは間違い無いですね。「義務」という言葉で表現出来るなら新たな言葉は必要ありませんから。「義務」が適切な表現であるならば「義務」と言えばいいだけの話です。新たな言葉は必要ありません。それなのに新たな言葉「努力義務」という言葉が登場した。
「努力義務」という新しい言葉をどう捉えたらいいのか。
このことで頭を悩ませている方はシンプルに考えたら良いのでは無いでしょうか。
「努力義務」という言葉は「義務」ではない事を表現する言葉。
これが目の前にある事実です。これだけ理解できていれば、無駄に悩む必要は無くなるでしょう。わかりにくい言葉に翻弄され、ストレスを増やすのは健康面でも有害ですから、事実を整理してシンプルに考えられるところはシンプルにいきましょう。心身を整える。本当にこれが大切な時代になってきましたね。
「義務」という言葉を使わず「努力義務」という言葉が登場した背景には、「義務」という言葉を使えない理由が必ずあるのです。使わないのではなく、使えないのです。「何で使えないんだろう?何で使わないんだろう?」その理由が理解できれば、今のコロナ禍における多くの精神的ストレスが解消されるのでは無いかと思います。考えることをやめてはいけません。