言葉にならない「意識」というものを考える。

本日も大変貴重な一日を過ごさせていただきました。「意識施術」をさせていただくようになってから随分と月日が経ちますが、まだまだ分からないことだらけです。しかし、何十、何百、何千と経験を重ねていくたびにだんだんと法則のようなものも見えてくるのです。今ハッキリと言い切れるのは

 

変化は今、この瞬間に起こる。思った通りにはならない、ただ、思い通りに未来をコントロールしようとしなければ結果的に思った通りになることがある。大切なのは「今」に意識を留めておくこと。

 

訳が分かりませんか?私もわかりません。でも、何となくこんな感じです。

 

本日も初来院のAさん。

 

主訴は両肩の腱板断裂の手術の後遺症による可動域制限や運動痛です。結果はどうだったか?可動域は完全になることはありませんでした。まだまだバンザイの動作には程遠い。腱板断裂の手術前に来院されて、その症状を乗り越えられたBさんとたまたま院内で一緒になるという奇跡的な事が起こったため、「これは行けるかも。」と期待に胸が弾んだのですが、そんなに簡単ではありませんでしたね。

 

本日の施術中のチャクラポイントを触れた際のAさんの痛がり方。チョンと触れているだけなのに

 

Aさん「ものすごく痛いです。痛い痛い痛い痛い。」

 

目には見えないので「感覚的に」という注釈をつけた上で申し上げると、日頃の体内のエネルギーの流れが滞っている感じの方に多い施術中の状態です。もう、激痛を訴えられることがあります。痛めている肩ではなく、Möbiussearchにより提示されたポイントである背中のある一点をチョンと触っただけで「痛い痛い痛い・・・」という状態。こういう状態にある方はまず徹底的にエネルギーの流れを整えるためにチャクラのポイントが連続して提示されます。その状態がしばらく続いた後に肉体の施術ポイントが提示されるようになり、そのポイントが緩んでくると患部の可動域に変化が起こる。こういう流れになる事が多いのですが、本日一回では引っかかった感じが取り切れなかったですね。まだまだ実力不足です。ただ、可動域制限の原因が「肩にあるというイメージから背中のあるポイントである」というAさんとの共通認識が出来たため、来週以降の施術の指針は見つかりました。これを繰り返すのみですね。

 

 

そして次に初来院のご夫妻であるCさんとDさん。

 

まず、奥さんのCさんから。座った状態から立ち上がる際にゆっくりしか立ち上がれないのと、今年3月の追突事故でむち打ち状態となり、半年間治療を受けたものの、いまだ首がほとんど伸展出来ない状態であるとの事。首が反らせなさ過ぎて、ビールをストローで飲んでいるとお聞きした時、不謹慎ながら爆笑してしまいました(すいません)。結果、スッと立ち上がれるし、首もクルクル回るし、ムチャブリタイムで美顔も美髪も行けました。CさんとDさんを紹介して下さったEさんも施術を見学されていたのですが、「顔の色がくすんでたのがいい色になったねぇ~。白くなったねぇ~。いやぁ~不思議。」との事。

 

Cさん「ビールがちゃんと飲めそうです!(笑)」

 

これは素晴らしい一言でしたね!変化のポイントは一切分析しない事。何も考えず、今集中すべきポイントに全集中。これが出来ていたのではないかと思います。変化するのは本当に一瞬ですから、「今」に意識がちゃんとあれば、変化は起こるべくして起こります。分析をするというのは「過去の事例や、自分の知識などを総動員して変化の仮説を立て、未来を予測する。」という事。これを施術を受けている最中にやってしまうと「心ここにあらず」となってしまいます。

 

ご主人であるDさんは様々な症状を訴えられていましたが、施術中に最初は出ていなかった症状「左足の痺れ」が出てきました。意識施術の場合、今までなかった症状が出てくることは喜ばしい事であると捉えています。なぜならば、その症状を変化させるイメージを基に施術を行った場合、主訴である症状が一緒に変化するという事がよく起こるからです。いわば、ガイドの為のサインとしての「痛みやしびれ」。

 

しかし、突然発生した「痛みやしびれ」は患者さんにとっては「悪くなった」と捉えられる方も多く、一氣に意識が不安に駆られるようになり、施術の一手一手の後にお尋ねする「どうですか?」という私の質問に対する返答に「やっぱり」という言葉がつき始めます。これも絶対と言ってよい法則です。「痛いか痛くないか。」という質問に対して「痛い、痛くない」以外の「やっぱり」という言葉がつく意味。これをDさんにお伝えした上で施術をさせていただくと、Dさんに発生した「痛みやしびれ」が無くなるという事が起こるから不思議でしたね。根本にある無意識レベルでの素直さの賜物です。

 

「意識施術」を受けられることに慣れている患者さんは「あ~、来た来た。痛くなってきたよ~。たぶん、あと2,3手で変化するわ!フワッと変化する前は痛くなることが多いから、私はこの痛みが来たら『よっしゃ!』と思うの。」という強者もいらっしゃいます。自分の中の法則のようなものを見つけると、「痛み」なんてものはどうでもよくなるみたいです。「いいもの」でも「わるいもの」でもなくただのサイン。一連の自然治癒力の発揮の過程で起こるただの現象としてサラっと流せるようになるそうです。

 

「自分の思ったようになってほしいとは思うけど、思った通りになんかならないから・・・というより、思った通りになってもならなくてもどうでもいいって感じ。自然治癒力が自分に存在している事は理解しているから少々途中で変なところが痛くなったりしても、すぐ消えるのがわかっていたら『ふ~ん』って感じで傍観できる。不安にはあまりならないですねぇ。でも、イライラしたら変化が止まるのはわかってきたので、そこは氣をつけるようにしています。『イライラしている時点で自分の思うようになっていないって思ってる』って事ですもんね。」こんな強者もいらっしゃいます。

 

目に見えないものは感覚で捉えるしかありません。そしてその感覚は自分で掴むしかありません。その感覚を掴んでいただくために、当院で発生した過去の事例を様々お伝えさせていただきながら、意識施術によってご自身の自然治癒力に氣付かれる方が少しずつ増えてきているのはとてもうれしい事です。

 

疑いの眼差しはどんどん向けて下さい。そこからがスタートです。様々な事例をお話させていただくことで、何かが伝われば、そこから開ける道もあるのです。

 

ご来院された方に対して、私にできる事は自分に出来る事をひたすらやる。それだけです。

 

本日も良い一日でした。ありがとうございました。